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さえずり

自身の表層や深層に潜む多くの感情を、「不特定」の誰かに伝えたいという欲求があったとする。

ある人はそれを文章に綴り、ある人はそれを絵として描き、ある人はそれを料理や裁縫やスポーツに変える。

そして、それらは時として商品となり、作品となり、商売をもたらす。

僕はハサミを使って、多くの人の髪に触れることで、自分の感情の出口を見つけ、生きるという行為を続けるために不可欠なバランスを身につけてきた。

美容師という仕事はとても技術的なようでいて、じつは違う。

髪を引き出してハサミを開閉するという一連の運動は、さほど重要ではなく、僕らの仕事は、どれだけ多くの知識が解放されたかによって、そのクオリティが決定される。

そして知識というものの根幹は、やはり感情に起因し、それらは多くの欲求によって濃縮されていくのだ。

そういう話かい?いや違う。

つまり、感情を解放するために、じつに様々な手段が選ばれ、その表現は解放者の中に深く根付いた多くの欲求によって具現化されていく。そして、それらはすべて例外なく、解放者の人格を超えることのないレベルで相手に伝わるのだ。

そうやって伝わってくる解放者の感情が、どうにも抗えないほど全身を支配してしまうものがあるとして、僕にとっては、それが音楽なんだ。

要するに、そういう話だ。

あるバンドが、突然そんなふうにして僕の人生に妙な衝動を残してしまった。

始めは小さく残る程度の足跡だったものが、いつのまにか大きな痣のようになって僕の中に染み付いている。

彼らの言葉や音はあまりにも生々しく、その直情はあまりにも乱暴で、なぜか反動的にとてつもなく優しいのだ。

自身の表層や深層に潜む多くの感情を、「特定」の誰かに伝えたいという欲求があったとする。

ストレートに感情を解放できる人は、そばにいる、別のある人に対して、言葉や肉体でそれを伝えようと試みるかも知れない。

そうやって解放されたものが、ある時には愛のある性行為になり、ある時には醜い暴力になるかも知れない。

彼らの音楽は不特定の誰かに対して、そんな特定の感情を放り込んでくる。

今どきのバンドにありがちな、

4つ打ちのビートに、テクニック先行のリフ、オブラートにつつまれた散文詩のような言葉・・・。

そういう音楽とは、まるで違う。

僕が思うに、感情が技術を補うことはあっても、技術が感情を補うことはない。

音楽もやはり、解放者の人格を超えるレベルで、人に伝わるものではないと思う。

彼らの名前は、【YELLOW STUDS】

いやぁ、なんだろう?この感じ。

きっと死ぬまで追い続けるんだろうな。

久しぶりにブログを更新したけれど、

そんな話でした。

では!Be Rock'n'Roll !!!

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