Hey You ! Where is the boredom that should be shared ?
栃木県のはずれ。 最新のナビシステムでさえ見落としてしまうような山道を、僕ら9人を乗せた8人乗りのワゴン車は、その過密した空間を楽しむようにストラットなファンクを鳴らしながら進んでいく。 5月15日。快晴。 【第二回ジャグブランキン陶芸部】...
或る日、僕らは。
あれから、1年が過ぎた。 長女は小学二年生になり、僕は小学二年生の父親になった。 購入した直後の乱暴な光沢を失った赤いランドセルは、ようやく柔らかい風情を描きながら、彼女の背中の上で居心地の良さそうな表情を見せるようになり、日々、訪れる朝の慌しい喧騒も、玄関を飛び出していく...
無を以って無限とし、有を以って永遠とする
カタチあるものは、やがてその姿を消していく・・・。 人は生まれながらにして、死と云う宿命を背負い、その晩年に伴う巨大な侘しさから逃れるようにして、モノを造るのかも知れない。 しかし、それでもなお、或るモノは消費され、或るモノは切り倒され、或るモノは焼かれ、或るモノは剥がされ...
その一瞬はすでに未来であり、もはや過去である。
11月15日。 それは、父親になったあの日と少しだけ似ていたような気がする。 ただただ、ずっしりとした重み。 巨大な壁の足元で、ひざを抱えたくなるような不安。 何処にでも行けそうで、何処にも行けないような迷い。 あれは喜びだったのか? 必然的強迫の選択できない不自由。...
戦火を炭火に変えた22265日後の僕らの世界
8月15日。 黙祷も無ければ、虚妄的な平和に乾杯をする事もない。 そんなふうにして始まった終戦記念BBQ。 海の向こうでは未だ空が燃えているらしいが、僕らだけに捧げられた平和の宴は、新世紀の炭火に焼かれたご馳走の上で、煙となって海を渡った。 さぁ、ともあれ手をつなごう。